ブログをご覧の皆様こんにちは!
鹿児島県「徳之島出身」のブロガー とし( @kedokumango )です。
2025年6月29日に開催された「トライアスロンin徳之島」へ参加しました。2019年の40歳の記念として参加を始めた「トライアスロンin徳之島」ですが、私の毎年の楽しみとなりました。
本日のブログは、勝負というより楽しさが勝っている「トライアスロンin徳之島」の様子を紹介します。
この記事の目次
トライアスロンin徳之島でのレースアイテム
トライアスロン競技は、準備するアイテムが多くて、ついつい忘れ物をしがちです。
私も通し練習のときにビンディングシューズを忘れて痛い思いをしたことがあります。
今回のレースで持ち込んだものを備忘録として残しておきます!

スイムパート
・トライスーツ
・ウェットスーツ
・スイムキャップ
・ゴーグル
・ナンバーベルト
・ワセリン
シーガイアトライアスロンの記事でも紹介しましたが、私はゼッケンベルトの付け忘れを防止するために、ウェットスーツの下には、ゼッケンベルトを装着しておきます。
バイクパート
・タオル(足についた砂を落とします)
・ソックス
・ビンディングシューズ
・グローブ
・サングラス
・ヘルメット
・補給食
スタンダードのトライアスロンでは、ソックスとグローブを省きましたが、徳之島でのバイクは、75kmあるため、きちんとソックスとグローブを身に着けます。
補給食については、バイクのボトルは、2本体制で1本は、パワープロダクションをベースにはちみつ等を加えたスペシャルドリンクで、もう1本は、水です。
エイドステーションでは、飲み物の補給はせずに身体を冷やすものを貰うようにしています(氷水を含んだスポンジを首筋に当てると最高に気持ち良いです)。
ランパート
・ランシューズ
・キャップ
ランに移る際は、バイクをおいてから、ヘルメットを脱ぎ、グローブを外す。
ビンディングシューズからゴム紐に変えてあるランシューズを履き、補給食を摂ったら走り出す。
いつもこんな感じの流れで楽しんでいます。
トライアスロンin徳之島2025_スイム編
私がトライアスロンを始めてから、「徳之島トライアスロン部」というグループに混ぜて貰って練習をしています。
毎年、レースのスタート前には、グループのメンバーで記念撮影を行うのですが、今年も記念撮影を行うことができました。

今年は、記念撮影に鹿児島のトライアスロンチーム「TEAM KENOKO」の皆さんも入って頂きました。
私が着ているトライスーツの胸にある文字「TBT」ですが、これは、「TOKUNOSHIMA BICYCLE TEAM」の略となっていますよ。
さてさて肝心のレースの方ですが、ウェットスーツを着込み海に入ったところで、奄美の仲間も私の近くにやってきました。
まぁ、地元勢ですからね。海では、最短ルートの泳ぎやすいルートを知っているのです。
この時、仲間ともハイタッチで健闘を誓いあい、私のボルテージも最高潮です!
いつも、この瞬間がたまらなく好きです!
スタートの合図とともに泳ぎだすのですが、先週の「シーガイアトライアスロン」のスイムで苦い経験のある私ですが、地元の海だと他の選手と接触しても多少は、落ち着いていられます。
これも先週の経験があったからか?
私の隣を奄美の仲間が泳いでいるのを確認していたのですが、スイムのゴールまでずっと一緒でした。
苦手なスイムといえ、仲間がそばをずっと泳いでいると、終始落ち着いてスイムをこなすことが出来ました。
トライアスロンin徳之島2025_バイク編
さてさて、大好きなバイクパートです。
しかし、今回の私ですが、バイクが好きな私は、自己計測でバイクパート75kmを2時間30分ほどで走ることが出来るのですが、ここ2年間は、バイクパートを楽しみすぎるあまりに次のランで脚が売り切れてしまうという場面が続いてきました。
そこで、今回の作戦は、FTP(1時間で掛け続けられる最大パワー)の60%ほどで走り、ランに脚を残そうという作戦です。
そんな作戦を立てた、今回のバイクパート
のんびり走っているわけではないですが、どんどん抜かれていきます。
バイクが好きなだけに悔しい(笑)
しかし、我慢我慢とペースを守って走ります。

こちらは、仲間が撮ってくれたバイクの修理も出来る東天城中学校前のエイドです。
身体を冷やすための氷水を含んだスポンジを貰って走ります。
このスポンジで暑さでのぼせてきた首筋を冷やすと生き返るのです。
このあたりは、私の地元ということもありますし、全開で走れば気持ちよいはず
しかし我慢なのです・・・

こちらのエアロフォームからピースサインをしている、この写真の後から今大会の試練が始まりました。
写真が撮られた徳之島町亀津の市街地を抜け、亀津の海岸線に出てゴリラ岩と呼ばれる箇所くらいから、左脚の甲に抱えたガングリオンの痛みが出始めたのです。
4月頃から始まったガングリオン
今までも注射で何度か痛みを免れてきて、シーガイアトライアスロンにも注射治療をして貰い、痛みが出ることなくやってこれたのですが、レース本番で痛みだしたのでした。
バイクペダリングでトルクを掛けると痛む感じでした。
だましだまし走っていると、後方から「芝さん!ペース落としすぎじゃないですか?」といつも一緒に練習してきた仲間に抜かれながら声を掛けられます。
しかし、抜いていった彼は上りが苦手。
上りが訪れる度に追いつき、下りや平坦で置いていかれるといった流れになっていきます。
伊仙町に入り、上りの難関である犬田布の坂も彼と一緒に登っていくと、シーガイアトライアスロンにも一緒に参加した徳之島トライアスロンのレジェンドを発見します。
「来ましたよ!S君も一緒です!」と声を掛けて、さらに上っていきますが、ここでも仲間と一緒で、脚の痛みよりも楽しさが勝っていたという感じでした。
トライアスロンin徳之島2025_ラン編
バイクパートが終わろうとしていた頃に大雨が降り出しました。
ランへのトランジション時は、ビショビショでランシューズに履き替えても靴がぐじゅぐじゅな状態でした。
しかも、ガングリオンの痛みがバイクの時よりも、かなり響きます。
ランパートをスタートして、B&Gの会場から出発した頃には、私の脳裏には、リタイアという文字が浮かんでいました。
左足を踏む度に脚の甲に痛みが走るのです。立ち止まり、シューズのゴム紐を緩めてシューズをガングリオンを圧迫するのをなんとかしようと試みます。そこへ後方から走ってきたのが、いつも一緒に練習していたS君でした。
その時に「脚が駄目、リタイアするかも」と伝えました。
一年に一回の徳之島トライアスロン。しっかりと練習してきたのにリザルトへDNSという文字が残るのかと思うと悔しくて、少しずつでも前に進みます。
そこで、気がついたのが、先ほどゴム紐を緩めたのが幸いしたのか痛みが和らいでいることがわかりました。
それでも、痛いものは痛い
後は、我慢大会です。
すぐにリタイアしなかった理由として、ランパート20kmのうちの4割位の場所で妻が応援しているからです。
そこまでは、走らないといけないという気持ちが強かったですね。
妻の応援ポイントでは、先に行った仲間が脚のことを妻に伝えたらしく「脚大丈夫?」と声を掛けられます。
必死すぎて笑って返すしかできなかったですが、激しい雨の中での応援は、ありがたかったです。

妻が応援してくれていた天城小学校を過ぎると、ランパートの最大の難関の上りが始まります。
ここさえ上れば、後は下りさっという何度も走っているから分かる気持ちからでしょうか。
坂が苦しくても上っていくことが出来ました。
そしてゴールが近づいてくる発電所前を過ぎたところでは、またもや仲間の応援

「もう終わる」「もう終わる」とゴールを目指しました。
レースを終えて
無事に完走したとき、何度もエンデュランススポーツのゴールを迎えていますが、今回のゴールほど達成感が大きなゴールは、無かったと思えるほど充実感を得ることが出来ました。
それもそのはず、一度は「リタイア」まで考えたレースで無事にゴールできたのだから。
私がゴールしてから、しばらくするとリレーで参加していた仲間もゴールを迎えるというので、ゴール箇所まで仲間たちと迎えに行き、一緒にゴール

チームのフラッグを持って、皆で一緒にゴールです。この中には、総合で6位と9位のメンバーもいます。
良い思い出になりました。
その後の打ち上げも
トライアスロン終了後には、「どんちゃんパーティー」が開催されるのですが、私、ガングリオンの痛みがズキズキしていて、どうも歩くことが苦痛となっていました。
色々と食べたいものもあったのですが、歩き回ることも出来ずに悔しい思いになりました。

そんな会場にレース中の大雨はなんだったの?というくらいの虹が!
2026年の大会が2026年7月5日だと確認して、また来年も頑張るぞと思いを新たにしました。
徳之島メンバーでも打ち上げを
レース本番を終えてから、1週間がたった日に天城町の居酒屋にて徳之島トライアスロン部のメンバーと打ち上げを行いました。

今回の打ち上げで、皆さんの次の目標を聞き、そして私も次のレースに向けて気持ちを新たにしたのでした。