楽しいときだからこそ【海の事故】に気をつけたい!

ブログをご覧の皆様こんにちは!
管理人のとしです。

鹿児島県の離島「徳之島」に住む私は、海が身近にあることから、海の楽しさはもちろん、海の怖さも知っています。
7月18日「海の日」も近づいてきていますし、海を楽しむうえで、皆さんに気をつけて頂きたい私の経験談を紹介したいと思います。


 

 

私は「スキンダイビング」が好きだ!

私は、「スキンダイビング」が好きです。

そして、この写真は、徳之島で撮影した海岸線と砂浜の写真です。


徳之島の井之川地区の海岸線
“徳之島の井之川地区の海岸線”

徳之島の花徳地区の砂浜
“徳之島の花徳地区の砂浜”

このような美しい海岸線や砂浜が広がる徳之島に住む私が、海遊びに興味がないわけがありません。

サブタイトルにもある「スキンダイビング」とは、スキューバダイビングとは違って、タンクなどを背負ったりせずに「水中メガネ」と「足ヒレ」のみで遊泳を楽しむものです

「遊泳」と書いていますが、私が住むのは、「徳之島」です。せっかく潜るのですから、「獲物」が欲しくなりますよね。

「獲物」が欲しいということは、水中銃などを用いて獲物を突くわけですが、そうなってくると「スキンダイビング」という呼び方から「スピアフィッシング」といった言い方になります。

このスピアフィッシングでは、こちらの写真のように魚を突いたり、エビを捕まえたり、貝を拾ったりと様々な獲物がとれ、とても楽しいものです。


徳之島の海遊びで突いた魚
“徳之島の海遊びで突いた魚”

徳之島の海遊びで捕まえた伊勢エビ
“徳之島の海遊びで捕まえた伊勢エビ”

徳之島の海遊びでで拾った夜光貝
“徳之島の海遊びでで拾った夜光貝”

これだけの獲物が、自分の手で捕まえることが出来る「スピアフィッシング」「スキンダイビング」は、本当に楽しいものです。

ただし、この「スピアフィッシング」「スキンダイビング」ですが、スキューバダイビングと違って、タンクを背負っていませんから、無呼吸での海での遊漁となり危険度も高いスポーツとなっています。

私もこの「スピアフィッシング」を始めるにあたり、師匠について習ったわけなんですが、師匠についていくためや、自分自身の潜水時間を伸ばすために、それは、息を止める練習を沢山しました。

全盛期で、3分近くは、息が止められるようになった頃でしたかね。それぐらいの絶頂期に師匠から、こう言われたんです。
「とし君は、潜るようになったよね〜」
「この間も海面から見ていると体が小さく見えるぐらいまで潜っていたよ〜」なんてね。

尊敬する師匠にこのように言われると一人前になった気分がするじゃないですか。そうやって、自分に自信を持ち始めた時に、あの事故は発生してしまったのです。

私が体験した「海での事故」

あれは、今から7〜8年前の3月のことでした。

3月といえば、まだ冬型の海で波が高いことも多々あります。ただ、その時は、海仲間が転勤で徳之島を離れるために最後の海遊びが可能な日だったのです。

この時、少し無理なのは、わかりつつも数名の仲間と小さなボートに乗り込み沖に向かいました。

案の定、沖では波が立ち、少し危険だと感じながらも、ボートにアンカーを打ち、仲間たちと海に飛び込みました。

この時で、危険だと感じながらも海に飛び込んだというのが、自身に対する「泳げる」という過信ですよね。

ここから、あの事故は、発生してしまいました。

1時間ほど「スピアフィッシング」を楽しんだあとに、ボートに戻ろうとボートを見た時です。

その時に、ボートのアンカーが、高い波で外れ、ボートが流されてしまっていることに気付きました。
仲間たちを見渡すと、ボートが流されてしまったことに気付き自力で、岸に向かって泳いでいることがわかりました。

この時、私は思ったのです。「ボートまで泳いでエンジンさえかければ、ボートを失わずに済む」ってね。

安易な考えですよね。

ここから流されるボートを追いかけて泳ぐのですが、風の影響を受けて流されているボートは、潮流も重なりかなりのスピードで流されています。

私も、必死に泳いで追いかけますが、水面でバシャバシャ泳いでいる私は、ボートが流されるスピードには、絶対に追いつきません。

人間って馬鹿ですよね。必死になって泳いでいるときは、そんなことにも気付かないのです。かれこれ30分も沖へ追いかけて泳いだ頃にようやく、「諦める」という言葉が浮かんだのです。

それから、岸の方へ進行方向を180度変換すると、そこには絶望的な光景がありました。

そう、足ひれを装着して、泳力に自信のある人間が30分間も必死になって泳げは、かなりの距離を泳いでいることは、想像できると思います。

島が、ずーっと遠くに見えるのです。

しかし、私が生きて帰るには、岸まで泳がなければなりません。

ここから、必死の泳ぎが始まったのでした。

私はこうやって泳ぎきった!

この時、最初は、とにかくがむしゃらになって足ひれをキックし続けました。すると、足が疲れてくるので、少しキックを休めます。

すると休んでいる間、潮の流れで自分が流されているのがわかるのです。

こうなってくると休むことが許されないというのがわかってきます。
しかし、私は、スピアフィッシングで1時間泳いだあとに、全力で30分間ボートを追いかけて、体力的にも限界に近いところに来ています。

そんな私は、泳ぎながら「死」という言葉がもちろん浮かびました。

そうなると人間、逆に吹っ切れるものなんです。当初泳いでいた時は、水中銃や仕留めた魚などを繋いでおくブイを引っ張って泳いでいたのですが、私の使用している水中銃は、「RIFFE(ライフ)」というメーカーで、国産の水中銃と比べると高価な部類に入り、海仲間からも羨ましがられる一品でした。その高価な水中銃をためらいもなく、泳ぐのに邪魔だと捨てることができるのです。

水中銃を捨て、これで泳ぐことに集中できるようになったので、ペースが上がりますが、今度は、ウェットスーツを着込んだ体が、長時間泳いでいるものですから、暑くてたまらなくなってきたのです。

そこで今度は、ウェットスーツの背中のファスナーを開けて、3月の冷たい海水をウェットスーツの中へ流し込みます。

この時、体の上半身から冷たい海水が流れ込み、疲れている太ももを冷やしながら足首へと流れていくの感じました。

体を冷やすことに成功したものの、まだまだ岸までは、かなりの距離があります。

足ひれっていうのは、ただがむしゃらにキックすれば、前に進むというものでもありません。効率的に前に進むキックの仕方というのがあって、この時の私は、パニックにならないように自分自身を落ち着かせながら、丁寧なキックをしながら、潮流に負けないように少しずつ前に泳いだのです。

それからしばらく泳いでいると、岸の方から漁船が沖へ走っていくのが見えました。

これは、先に岸にたどり着いた仲間が漁師に助けを求めて、漁船で我々のボートを探しに行くところでした。

高い波の中ですから、私からは、漁船が見えていましたが、漁船からは、私が見えるわけもありません。
近くに助けがいるのに助けを得られないという絶望感に近い気持ちもありましたが、ここで下手な動きをするよりも、岸へ近づくほうが優先だと「助けてくれ!」という叫びに近い気持ちを持ちながら、必死に岸の方へ泳ぎました。

それから5分ほど泳いだところで、獲物を繋いでおくブイに捕まりながら、私を探している師匠を見つけたのです。

大海原をたった一人で泳いでいるときよりも、師匠が近くにいるだけで、こんなにも心強いものなのでしょうか。一気に力が湧いてきて師匠の「大丈夫か?」の問いに右手でOKサインを出している私がいました。

岸がもう少しのところまで、やってきました。そこで、もう一つの問題が目の前にありました。

それは、波が岸に強くあたり海面で渦を巻いていることがわかったのです。
これを避けるためには、遠回りに泳ぐのが最良の方法ですが、私にそこまでの体力は、残っていません。

そこで最後の賭けにでることにしたのです

ウェットスーツは、浮力があります。そこで、サーフィンの波乗りの要領で、海面を波に乗って一気に岸まで行こうという作戦です。
もちろん、失敗して波に飲まれれば、岩などに頭を打ってしまうことも考えられましたが、その時の私は、とにかく岸に上がることだけが優先でした。

それから波のタイミングに合わせ、一気に泳ぎだし、体が波で前方に持っていかれるのを感じると、体を一直線にします。

まさにサーフィンそのものの原理です。

我々は、小さい頃から海で泳ぐといったら、体だけでの波のりや、手漕ぎのゴムボートで波乗りをして遊んでいましたからね。

子供のころの遊びが役にたった瞬間でした。
それから、無事に岸に上がった私ですが、しばらくは、膝がガタガタと震え、足腰に力が入らず、その場からしばらく動くことができませんでした。

しかし、これで私は、助かったのです。
本当に良かったと感じた瞬間でした。

本日のまとめ

無事に海をあがってからも、跡処理が待っています。

無人のボートが流されているのが海上保安庁にでも見付かると、事故が発生したと捜索活動が始まるかもしれませんので、関係機関へボートを流してしまった旨の連絡を入れます。

また連絡を聞きつけ、港に集まっている人々にお騒がせしましたと頭を下げてまわります。

こうなってくると恥ずかしすぎて、また海に飛び込んで、どこかへ消えてしまいたい気持ちで一杯でしたね。

今こうやって振り返ってみると、事故を起こしてしまった原因は、2つです。

  1. 波が高く危険な海の状態とわかりつつも無理をしてしまった。
    一番は、これですね。命さえあれば、いつでも楽しめる海を仲間の最後の日だからと無理をしたのが一番の問題でした。
     
  2. 自分は、泳げると過信しすぎていた。
    人間の力なんて自然の前では、儚いものです。大海原の荒れた海で人間の体なんて「木の葉」のようなものです。どんなに泳力があろうとも過信するものではありません。

といったところでしょうか。

そして、私が助かることができた一番の要因が、流されている中でも冷静でいられたことだと思います。
あの時、パニックを起こして、救出にきた漁船を追いかけたり、水中銃が勿体ないと海上で捨てることができなかったら、今こうやって生きていることは難しかったのではないかと思います。

海は、仲間と海水浴したり、バーベキューしたりと本当に楽しいものです。しかし、危険は、潜んでいますからね。十分に気をつけながら楽しんで貰いたいと思いますよ!

本日のブログは、ここまで!

それでは、また明日~